愛がなんだっていうのだろう〜私はてるちゃんであり、まもちゃんでもある〜

f:id:ainaword:20190523215324j:plain

愛がなんだ〜好きになってごめんなさい〜


 今、若い女性を中心に話題となっている「愛がなんだ」を見てきた。原作を読んでいたわけでもなく、たまたまyoutubeの予告編を見て「どうしてだろう。わたしはまだタナカマモルの恋人じゃない」や「好きになるようなところなんてないはずなのにね」という言葉に心惹かれた映画。この映画を見るために初めてテアトル系の映画館に足を踏み入れた。

 私が見た日は公開から1ヶ月が経とうとしているのにもかかわらず、劇場は満員で立ち見席まで販売されていた。意外とカップルもいて驚きながらもポップコーンを携えて入場。予告編もあまり見慣れない単館規模の映画が多く、新鮮さを感じながら上演を待った。予告編を見て思ったが、コスト面では確かに大きなシネコンで上映されている映画はここで予告されている映画を凌駕しているのだろうが、画面から感じるみずみずしい感情が大きく出されていて、感情がぶつかってきて「愛がなんだ」への期待が高まった。

 

ここからはネタバレも含まれると思われるのでまだ見てない方は自衛してほしい。

 サイトからストーリーを引用すると

 だめでかっこよくないところも全部を好きと思ってしまったら嫌いになることなんて永遠にない。猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。だけど。マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない・・・。マモちゃんはすみれさんというテル子と180度違うアグレッシブな女性に憧れを抱く。マモちゃんはテル子がマモちゃんにそうであるように、すみれのがさつで気を使わない、肌荒れ、それまですべて好きになってしまう。

テル子の友達には葉子がいて、葉子に憧れを抱き、なんでも言うことを聞き、葉子のすべてを受け入れるナカハラがいて。ただ好きなだけで主従関係のようなものになっている。一緒にいつまでもいるのか、新しく一歩を踏み出して未来に突き進むのか。2つの恋は少しずつ形を変えながら、静かにストーリーは展開していく。

私はこの映画で「ハチミツとクローバー」という漫画の中の1文を思い出しながら見ていた。「好きな人が自分を好きになってくれる。ただそれだけのことなのに永遠にかなわない気がする」

本当にテル子の恋を、表している。どんなに近くにいても、どんなに会話を重ねてもキスしても、マモちゃんは本当の意味でテル子を好きになることはない。それが苦しいけどリアルで。そしてまたスミレさん役を演じた江口のりこさんの演技も秀悦で、テル子はスミレさんをどうしても嫌いにはなれないのだ。性格が最悪で憎めれば、まだ良かったのに。そう思わせられた。

 テル子もすみれさんに関してのマモちゃんもナカハラも総じて同じで好きな人のことのすべてが好きで。好きな人の前ではちょっぴりかっこ悪くて、でも一生懸命で。

だけど途中から3人は同じ選択をしない。ここからは映画を見てほしいのだが、この選択もそうだが私は結局、マモちゃんとテル子は似ているのだと思う。なにかを得るためにすべてを捨てているようで本当は捨てていない。自分が都合のいい方に解釈して。「今楽しくて」という感情を大事にしているように思える。こんなここまで客観視して書いたが私もこちら側の人間だ。ナカハラとは違う。前には進めない。正解ではないと知りながらも、もがいて光のそばにいたいのだ。そこがどんなに苦しく暗い沼地でも。愛ってなんなのだろう。そばにいるのが愛なのか。すべてを受け入れるのが愛なのか。

ちょっぴり考えさせられたけど映画自体はそこまで暗いわけでもなく、序盤の成田凌のイケメンさはひどい(笑い。徐々にかっこ悪くなる。そしてどんどん岸井ゆきのちゃんが可愛く見える)

 

感想を端的に述べると最高だった。映画館をでるときに誰かが言っていた「これは女子だったらわかるよね。男子にはわからないかも」そのとおりだと思った。帰ってから気づいたポスターの左上の文字「好きになってごめんなさい。」

この一文に全てはこの映画のすべてが集約されている。

もう一度見たい映画。